東京高等裁判所 昭和39年(ネ)1156号 判決 1965年4月02日
控訴人 木村敬三郎
被控訴人 高尾外次郎
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し原判決添付目録第一記載の建築中の建物を収去して、同目録第二記載の土地を明渡せ。被控訴人は控訴人に対し昭和三八年九月五日以降右明渡済に至る迄一ケ月金八、五六一円の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決及び建物収去、土地明渡及び金員支払を命ずる部分につき仮執行の宣言を、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。
当事者双方の主張は、控訴代理人において
(一) 控訴人と被控訴人との間の本件賃貸借においては従前期間の定がなかつたところ、控訴人は被控訴人の借賃不払を理由に賃貸借を解除し、建物収去及び土地明渡の請求訴訟を提起し、その訴訟において本件裁判上の和解(甲第一号証)が成立した。この和解において、借地権の存続期間を十年に限り、この期間経過後は契約を更新しないことを特約し(和解条項第六項)この特約を確実にするため、被控訴人は控訴人の書面による同意なしには借地上の建物の増改築をしない旨の定(和解条項第四項)がなされたのである。
(二) 本件において収去を求める建築中の建物は、仮処分により工事差止中であつて、現在工事は進行していない
と述べ、被控訴代理人において
(三) 前記(一)の事実のうち、和解条項第四項の定が、賃貸借を更新しない旨の特約を確実にするためなされたものであるとの点は否認する。前記(二)の事実は認める。
(四) 和解条項第四項の定は、既存建物の増改築に関するものであつて、被控訴人がした本件の建築工事のように、既存の建物を取毀ち新な建物を築造する場合には適用がない。仮に右の定がこのような場合にも適用される趣旨であるとするならば、そのような定は、借地法上無効である。
と述べた外、原判決の事実摘示と同一であるので、ここにこれを引用する。
証拠<省略>……原判決の事実摘示と同一であるので、ここにこれを引用する。
理由
被控訴人が原判決添付目録第二記載の土地を控訴人から賃借していたところ、右賃貸借に関する訴訟において、昭和三十四年十二月二十二日裁判上の和解(甲第一号証)が成立し、この和解において、被控訴人は控訴人の書面による同意なしに借地上の建物の増改築をしないことを約したこと(右和解条項第四項)被控訴人が前記目録第三記載の建物を取壊した上、昭和三十八年四月二十五日から同目録第一記載の建物の新築工事を始めたこと、控訴人が同月二十七日到達の内容証明郵便をもつて前記和解条項第四項の定の違反を理由として被控訴人に対し賃貸借解除の意思表示をするとともに、建物の新築工事の中止を催告したこと、ついで控訴人が同年六月二日到達の内容証明郵便をもつて被控訴人に対し重ねて契約解除の意思表示をするとともに、五日以内に新築中の建物を取り壊して土地を原状に復することを求めたこと、控訴人が更に同月十日到達の内容証明郵便をもつて土地の原状回復義務の不履行を理由に被控訴人に対し三度契約解除の意思表示をしたこと、以上の事実は、当事者間に争のないところである。
被控訴人は、前記借地上の建物の増改築をするについて控訴人の口頭による同意を得た旨主張し、乙第四号証の記載並びに原審証人吉本英雄の証言及び当審における被控訴人本人訊問(第二回)の結果中には右主張に副うような部分もあるが、これらの証拠は、成立に争のない甲第二号証の一、乙第三号証の一及び二、当審証人木村ミツの証言並びに原審及び当審における控訴人本人訊問の結果に照したやすく信を措き難く、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。
被控訴人は、つぎに、前記和解条項第四項の定は、既存建物の増改築に関するものであつて、被控訴人がした本件の建築工事のように、既存の建物を取壊して新な建物を築造する場合は、これに該当しない旨主張するが、右第四項の定自体からはもとより、和解条項の全体からも、右の定が被控訴人主張のような趣旨のものであるとは解することができず、またこれを立証する証拠もなく、却つて、右第四項が土地の賃貸人たる控訴人の利益のための定であることにかんがみれば、既存建物の同一性を害わない単純な増築又は改造工事よりも、賃貸人の利害により切実な影響を及ぼす既存建物に代る新建物の築造工事には当然に控訴人の書面による承諾を必要とする趣旨であると解するのが相当である。
被控訴人はさらに、前記和解条項第四項の定が借地法上無効である旨、特に右の定が借地上の既存建物に代る新建物の築造を制限するものである点において無効である旨を主張する。しかしながら、借地権者が借地上の建物の増改築をするには賃貸人の書面による同意を要するとの定を一概に違法無効のものとすることはできないものと考えられる。借地法は、借地権の存続期間を定める基準として、借地権者が借地上に所有する建物の堅固、非堅固の別を掲げ、当事者が特約をもつて借地上の建物を堅固な建物とするか、その他の建物とするかを定める自由を有することを示しているが、借地法は、ひとり建物の堅固、非堅固の別だけでなく、借地権者が借地上に所有する建物に関するその他の条件、例えば堅固、非堅固の別以外の建物の種類、構造、床面積、位置、形状等について特別の定をすることをも禁ずる趣旨ではないと解される。これらの定は、要するに賃貸借の目的である借地の用法に関する特約であつて、借地権者はこれに拘束されるのである。借地権者が借地上に所有する建物の無断増改築を禁止する特約も、前記の諸事例の場合と同様に、借地の用法に関する特約であつて、借地権者にとつて不利であるとの一事からこれを当然に無効のものとすることはできない。借地法第七条の規定だけから言えば、借地権者は、借地上の建物が滅失した場合、借地権の残存期間を越えて存続する如何なる建物でもこれを自由に築造することができ、賃貸人はこれに対して遅滞なく異議を述べても、建物の築造自体を差止めることはできず、借地権者は借地権が消滅した場合には同法第四条第二項の規定によつてその築造した建物の買取を請求することができるかのように見えるが、借地権者は他方において特約をもつて定められた借地上の建物に関する制限には服しなければならないのであつて、どんな建物を建ててもよいわけではない。例えば当該借地権が非堅固の建物の所有を目的とするものである場合に、借地権者が堅固な建物を築造したときは、特約違反の責を負わなければならず、かかる特約は借地法第四条及び第七条に反する契約条件で借地権者に不利なものとして同法第十一条によつてこれを無効とすることはできない。借地上の建物の無断増改築を禁止する特約についても同様のことが言えるのであつて、借地法のこれらの規定があることから、当然に右の特約は無効であると解することはできないのである。されば、本件における前記の和解条項第四項の定を当然に無効とする被控訴人の主張は、採用するに由ないものである。
しかしながら、ひとしく借地上の建物に関する特約であるとは言つても、建物の堅固、非堅固の別その他先に例示した建物に関する特約はいずれも個別的、具体的であつて、土地の貸主の独断恣意を容れる余地が殆んどないのに反し、無断増改築禁止の特約は甚だ概括的であるため、この特約を文字通りに解して賃貸人が建物の増改築について同意を与えると否との完全な自由を有するものとするときは、借地権者の利益を不当に害し、借地権者にとつては賃貸借の目的を達することができないような場合を生ずることも否めない。従つてこの特約の解釈にあたつては、たとえその旨の明示がなくても、一定の合理的な制限が付されているものと云わなければならない。即ち、借地権の残存期間か極めて僅かで、賃貸人側に契約の更新を拒絶する正当の事由があると認められるような特別の事情かある場合を除き、通常の場合には、賃貸借の目的を達するために必要で且つ賃貸借の目的に照し相当な限度内の増改築については賃貸人は同意を拒絶することはできず、たとえ借地権者が賃貸人の同意を得ることができない儘右限度内の増改築をしたとしても、これをもつて賃貸借における当事者の信頼関係に背くものとして借地権者に契約違反の責を負わせることはできないものと言わなければならない。換言すれば、このような場合に賃貸人が何等正当の事由もないのにかかわらず同意を拒絶し、契約違反を理由に賃貸借を解除することは、権利の濫用として許されないと解するのを相当とする。
そこで、飜つて本件について見るに、控訴人は、本件裁判上の和解において賃貸借の存続期間を十年に限り、和解条項第六項においてこの期間経過後は契約を更新しないことを特約し、この特約を確実にするため前記和解条項第四項の定がされた旨主張し、控訴人本人は原審及び当審においてこの主張に副うような供述をしているが、右の供述は甲第一号証中の和解条項自体に照し信を措き難く、却つて右和解条項によれば、本件賃貸借の期限は昭和四十四年十一月十五日であることが認められたが、右期限が到来したときは、被控訴人及び控訴人は、借地法第四条の定めるところに従つて、それぞれ契約更新の請求権及び契約更新の拒絶権(正当の事由ある限り)を有することが明かである。よつて進んで本件で被控訴人がした契約解除の意思表示は権利の濫用として無効である旨の被控訴人の主張について考えるに、前記甲第一号証、いずれも成立に争のない同第二号証の一、二、同第三号証の一、二、同第五号証、同第十三号証、乙第一号証、同第二号証の一から四まで、同第三号証の一、二及び同第四号証、本件借地の現場の写真であることについて当事者間に争のない同第七号証の一、二、本件借地の現場の写真であることが当審における被控訴人本人訊問(第一回)の結果によつて認められる同号証の三から十三まで、いずれも成立に争のない同第九号証及び同第十一号証、原本の存在及び成立に争のない同第十三号証、原審証人吉本英雄、当審証人木村ミツ及び神道寛次の各証言、原審及び当審における控訴人本人訊問の結果並びに当審における被控訴人本人訊問(第一回及び第二回)の結果に本件口頭弁論の全趣旨を綜合すれば、被控訴人は、昭和七年頃原判決添付目録第二記載の土地を含む三百八十余坪の土地を控訴人の前所有者たる訴外長島吾助から賃借し、そこに工場及び附属設備を設けて製材事業を営んで来たが、昭和十四年頃控訴人において右土地の所有権を取得し、被控訴人との間の賃貸借関係を承継したこと、その後借賃の増額請求をめぐつて控訴人及び被控訴人間に紛争を生じ、昭和二十九年に控訴人は被控訴人に対し借賃増額の請求訴訟を起したが、右事件の解決を見た後、程なく控訴人は再び被控訴人に対し借賃の増額を請求し、昭和三十三年借賃の延滞による契約解除を理由に建物収去、土地明渡等の請求訴訟を起し、この訴訟において前記の裁判上の和解が成立するに至つたこと、他方、前記土地一帯は、いわゆる江東地区に位し、すでに戦前から地盤沈下の現象が起つていたが、戦後にいたり地盤沈下はその度を加え、豪雨や高潮時などには被控訴人の前記借地も浸水を免れないようになつたこと、近隣の土地には地盛がされたが、被控訴人の借地は地盛がされない為近隣の土地や道路面よりは三尺余り、また、借地の北側に設けられ数回に亘つて補強された防潮堤の高さよりは五尺余りも低い低地となり、豪雨や高潮時における外部からの浸水のほか、常時水圧による川水の浸透があり、工場内地下に設けられた動力用モーターが冠水するので、排水用ポンプを常設して排水をしなければならないような状況となつたこと、のみならず被控訴人所有の工場及びその附属の建物は、戦災に遭つたので、被控訴人は昭和二十一年から二十三年頃にかけてこれを再建したが、当時の粗悪な建築資材を用いた為、上記のような地盤沈下による敷地の浸水と相俟つて工場施設の腐朽も甚しく、殊に工員宿舎に充てていた原判決添付目録第三(一)記載の建物設備の劣悪も一因となつて工員の新規採用が困難なことはもとより、従来からいた者も離職するような状態であつて、この上はこれらの工場施設の改築をした上で機械設備を改善するのでなければ製材業の維持経営も困難となるにいたつたこと、借地及びその上の建物の状況はこのようにして悪化していたのであるが、その間、被控訴人は前記裁判上の和解が成立した二、三日後に建物の改築計画の図面を持参して控訴人方に赴き、地盛及び建物の増改築について同意を求めたが、控訴人はこれを拒絶し、越えて昭和三十六年四月には、従前の借賃二万二千七百七十円を二万七千三百二十四円に増額する旨の請求をしたので、被控訴人は同年六月頃弁護士吉本英雄に依頼して重ねて借地の地盛及び借地上の建物の増改築について控訴人の同意を求めさせたが、控訴人からはこれに対する明確な回答を得られなかつたところ、被控訴人はその頃控訴人からの右借賃増額請求を承諾し、同年八月吉本弁護士は前記借地の地盛及び地上建物の増改築に関する控訴人及び被控訴人間の契約書案を作成してこれを控訴人に送付し検討方を依頼したが、控訴人はこれに対し同年九月前記裁判上の和解を理由として建物の増改築についての同意を拒絶する旨の回答をしたこと、被控訴人は更に翌昭和三十七年六月、控訴人に対し書面をもつて前記借地の実状を訴え、地盛及び建物の増改築について同意を得べく催告したが、控訴人より同意を拒絶され、これまた徒労に終つたこと、以上のような経過をたどつた後、被控訴人は、ついに控訴人の同意を得ることができない儘同年中に原判決添付目録第二記載の土地の部分に地盛をし、翌昭和三十八年四月二十五日に工員宿舎及び倉庫に充てるため同目録第一記載の建物の新築工事を始めたところ、控訴人においてその主張のような三次に亘る賃貸借解除の意思表示をし、同月三十日には建築工事差止の仮処分をしたこと、およそ以上のような事実を認めることができる。
以上認定の事実に徴するときは、被控訴人としては借地上の建物の増改築をするのでなければ賃貸借の目的を達することができないような状況にあり、しかも借地権にはなお相当の残存期間があつたにもかかわらず、控訴人は何等正当の事由をも示すことなく、ひたすら前記和解条項第四項の定を楯に取り建物の増改築についての同意を拒絶してきたことが明かである。しかも被控訴人が建築工事に着手した前記建物は、従前の建物に比較し規模が大であるが、等しく木造であつて本件賃貸借の目的に照し相当の限度を越えるものとは言い難い点にかんがみれば、むしろ控訴人において改築に同意を拒むことはできないものであり、被控訴人がした右の新築工事の開始をもつて賃貸借における当事者の信頼関係に背くものとしてこれを理由に控訴人において賃貸借を解除することはできないものと言わなければならない。即ち、控訴人主張の三次に亘る同意なき改築を根拠とする賃貸借解除の意思表示は、いずれも権利の濫用としてその効力を生ずるに由ないものである。
以上の次第であるから、右の賃貸借解除の意思表示が有効であることを前提とする控訴人の本訴請求は理由がなく、これと結論を同じくする原判決は結局において正当であるので、民事訴訟法第三百八十四条第二項の規定により本件控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき同法第八十九条及び第九十五条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 毛利野富治郎 平賀健太 加藤隆司)